kairou



 喉元のどもとに、手入れの行き届いた銀色のやいばが押しつけられた。ほんのわずかでも身じろぎすれば、間違いなく血が流れる。

 マレク・フリードルは息を詰めた。
 自分の命をにぎる男の、銀灰色シルバーグレイの眼を見つめ返す。

 こうなることはわかっていた。
 斬り捨てられる覚悟はできていたはずなのに、いざ剣を突きつけられると、みぞおちが凍りつく。
 なんと情けないことか  


「なぜ、アデーラを逃がした?」

 銀灰色の眼をした美丈夫がく。
 レイス・ブルージェク枢機卿  このバルトシェク王国の第三王子であり、マレクの主君だった。

「……最善を尽くす必要がありました。わが国とアンドルシュ皇国との戦を回避するために。アデーラさまは、ご自身の命をかけておられましたので」

「なるほど。戦を回避するためと言うが、おまえはいつ、指揮官になったのだ? 任命した覚えは、おれにはないぞ」

 喉元の刃が角度を変える。
 切 きっ先が当たった場所の皮膚が、ちりちりと焦げていくようだ。

「……ということは、おまえは自分の独断でアデーラを逃亡させたのだな? マレク」

 銀の眼がすがめられ、酷薄こくはくな光を帯びた。レイスの肉感的な唇がゆがむ。

「惚れたのか?」
猊下げいか  
「アデーラに惚れたのかと訊いているんだ。答えろ」

 マレクは腹を据えた。
 嘘はつけない。それこそ命取りだ。レイスは、すぐに見破る。

「……敬愛申しあげております」

 乾ききった唇から漏れる声は掠れていた。
 言い終えたマレクは眼を閉じ、鋭い剣先が自分の首をき切るのを待つ。
 けれど、喉元にぴたりと押しつけられた刃は動かなかった。

「はっ! 敬愛だと? なんとも美しいことだ」

 絞りだすような声に続いて、苦しげなうめきが聞こえる。
 驚いて眼をあけると、すぐそばに、打ちひしがれて蒼白になったレイスのかおがあった。

「猊下! 僕とアデーラさまは、けっして  

「もういい! 下がれ! おまえには一週間の謹慎を命じる! 自分の立場をわきまえ、反省しろ!」

 吐き捨てたレイスは剣をさやにおさめると、裏切った臣下を捨て置いて立ち去った。


 主君の背中を見送ったマレクは、その場に崩れそうになるのを必死でこらえていた。
 命を奪われなかったことへの、安堵のため息が出る。
 膝が震える。
 胃のあたりが、きりきりと痛む。

 一週間の、謹慎  

 もどってきたときには、自分の居場所はないかもしれない。
 おそれ多くも、主君が愛するあまりに拉致らちしてきた女性を、祖国に逃亡させたのだ。首を斬り落とされなかっただけマシだろう。


(ようやく落ちつける場所を見つけたと思ったのに……また、追放されるのか……)

 マレクはもつれた金髪を搔きあげ、空をあおいだ。


     ※ ※ ※


 七日間の謹慎があけた朝。宮殿に出仕するやいなや、マレクはレイスに呼びだされた。
 いよいよ最後通牒つうちょうだ。覚悟を決めて、執務室の扉を叩く。

 ところが  


「これは……どういうことなのでしょうか? 猊下」

 渡された純白の軍服一式と、レイスの顔を交互に見ながら、マレクは尋ねた。
 東洋には『狐につままれたような』という表現があるらしいが、こういう状況を指すのだろうか。

「おまえは今日から、おれ付きの近衛兵このえへいだ。なんだ、気に入らないのか?」
「いえ、そのようなことは  
「では、しっかり職務に励め」

 マレクは、きらびやかな近衛兵の制服に視線を落とす。
 手に入らないはずのものが、こんなに簡単に転がり込んでくるとは。
 しかも、その場で首を落とされかねない不祥事を起こしたにもかかわらず  

(怖いな……こんな僥倖ぎょうこうを受けて、大丈夫なんだろうか?)

 なんだか、背中がむずむずする。
 この居心地の悪さと違和感は、いったいなんだろう?


「そこでだ、マレク  おまえを見込んで、頼みがあるのだ」

 その声を聞いたとたん、背中のむずむずが、ぞわりとした心地悪さに変わる。

(やはり……大丈夫ではなかったか……)

「僕に頼みとは、どのようなことでしょう、猊下」
 動揺を悟られないよう、はきはきと明るい声で返す。

「……まぁ、そこに座れ」

 近くの椅子に腰を下ろすと、ワインを注いだグラスを手渡された。
 アルコールを口にする気分ではなかったが、断るという選択肢はなく、ルビー色の液体で唇を湿らせる。

「おまえは、アデーラに異性との付きあい方を指南したそうだな。なかなかに的を得ていると聞いたのだが  

 意味ありげな流し眼とともに予想外の言葉を切りだされ、マレクの心臓が軽く跳ねあがった。
 たしかに、庭園を歩きながらアデーラ皇女と、男女の機微きびに触れる話をした。

(僕をとがめているのか? いや、そうではないな。機嫌は悪くない。こちらに探りを入れているだけか……)

 マレクは素早く、そしてさりげなく、レイスのかもす雰囲気や外見から、心の内を読み取ろうと試みる。
 どちらかといえば表情にとぼしい美貌の、ほんのわずかな変化も見逃さないのは、これまでの努力のたまものだった。

「指南というほどのものではありません。アデーラさまの気晴らしになればと、雑談のようなものを」
「なるほど  

 レイスは、長い指で自分の唇に触れる。思案するときの癖だった。

「では、おれにも、その気晴らしの雑談とやらを指南してはもらえぬか?」
「……は?」

 空耳だろうか  ? 
 マレクは自分の聴覚を疑った。

「どうやらおれは……惚れた女が命と引き換えにしても逃れたいと思うような、クズ男らしいのでな。そんな自分を、どうにかして変えたいのだ」

 額にかかる伸びた黒髪の間から、うれいのある銀の瞳がすがるように見つめてくる。

「猊下……それは……」

 どんな言葉をかければいいのか  マレクは悩んだ。アデーラ皇女に去られたことが、よほどこたえているらしい。

「いまのおれでは、アデーラを取りもどせない。協力してくれ、マレク。おまえだって、敬愛する女性の不幸は望まないだろう?」

「猊下……」

 まっすぐに見つめられ、さらにマレクは悩んだ。
 この期に及んでも、彼女にふさわしい男はこの世で自分ただ一人だと、レイスは一点の曇りもなく信じているのだ。

 たいしたものだな  マレクは思う。

 見ようによっては狂人かもしれないが、歴史を動かすのはたいてい、こんな人物だ。
 一方で、彼のこの思い込みと執着こそが、アデーラ皇女にとって不幸の元凶になっているのかもしれないのだが  

 それでも、アデーラ自身もレイスのことを憎からず思っていることを、マレクは知っている。
 二人とも、華やかな見た目に反して不器用で奥手なのだ。仲を取り持つために骨を折るのは、やぶさかではなかった。

(たしかに後宮で働いてきたおかげで、女性の気持ちを察することは上手くなった。けれど、臣下である僕の指南を受けたいなどと、猊下は本気で考えておられるのか……?)

 マレクは礼を失しないようさりげなく、主君のようすを観察する。

 いまのレイスの顔色は良いとはいえない。よく見れば、眼の下にうっすらとくまが浮いている。心なしか頬もこけたようだ。

 だが、そんなことよりも深刻なのは、「この男には何を言っても無駄なのだ。好きにさせるしかない」と周囲を納得させる、あの『俺さまオーラ』が感じられないことだった。

(そうか  

 執務室に足を踏み入れたときに感じた、あの居心地の悪さと違和感の正体は、これだったのだ。

 マレクは愕然がくぜんとした。

 傲慢  ごうまん、強引、冷酷、ひとりよがり  けれどそのアンバランスさゆえに、抗いがたい魅力で多くの人々を惹きつけてきたカリスマ枢機卿が、女に振りまわされる、ただの悩める男に成り下がってしまった。

(『俺さまオーラ』を失った猊下など……もはや主君とは呼べないではないか!)

 心のなかで叫び、マレクは決意する。
 こんな腑抜ふぬけのような男に仕えていたくない。
 自信を取りもどさせなくては。なんとしてでも  

「猊下。臣下の一人に過ぎない僕の指南を受けてまでご自分を変えたいと、本気で思っていらっしゃいますか?」

 マレクは、レイスを正面から見据えて尋ねた。

「もちろんだ」
「では、約束していただけますか? そのあいだ猊下と僕は、主君と臣下ではなく対等の立場に立つ、ということを。そうでなければ、指南などできません」

 一瞬の間のあとで、レイスはゆっくりとうなずいた。

「承知した。おれに、二言にごんはない」


 こうして、のちに語り草となる『ブルージェク枢機卿改造計画』の火蓋ひぶたが切られることとなった。


<END>




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